蔚珍・三陟地区武装共匪浸透事件

 北朝鮮は、1968年10月30日から11月2日まで、3次例に渡り、蔚珍・三陟地区に武装共匪120名を15名ずつ組を編成、浸透させ、軍服・紳士服・登山服等で偽装し、ゲリラ戦を 展開した。浸透した武装共匪は、11月3日早朝、住民達を集め、男子は南労党、女子は女性同盟に加入しろと、銃剣で威嚇した。

 住民達が恐怖に 질려 머뭇거리자 대검으로 찌르는등 蛮行を行い、뒤늦게 到着した住民は、돌로 머리를 쳐서 죽이기도 하였으며, 甚だしくは、「僕は共産党が嫌いだ」と語ったという理由でソサ初等学校ケバン分校2学年に在学中だった李スンボク(当時10歳)まで無残に殺害した。

 住民達は、죽음을 무릅쓰고 リレー式に申告し、多くの犠牲を치른 끝에 軍警の出動を可能にした。軍警と予備軍は、本格的な討伐作戦に着手、12月28日まで約2ヶ月間継続した作戦において、共匪113名を射殺し、7名を生け捕り、浸透した120名を全員掃討した。この作戦において、韓国側も、軍人・警察と一般人等、20余名が死亡する多くの犠牲を 치렀으나 北朝鮮が 아무리 残虐な共匪を浸透させても、これを撃滅できる 튼튼한 安保態勢を 実証して見せた。

 蔚珍・三陟武装共匪浸透事件は、北朝鮮が韓国の山岳地帯と農村でのゲリラ活動の可能性を探索してみたもので、韓国において、ベトナムのような戦争を行えるのか試験したものである。

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最終更新日:2004/03/19

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